『日曜美術館』 NHK Eテレ
井浦新、伊東敏恵(司会)
毎週日曜 09:00~10:00 放送
翌週日曜 20:00~21:00 再放送
「画鬼と呼ばれた絵師
~弟子・コンドルが見た河鍋暁斎」
2014年2月23日 放送
2014年3月2日よる 再放送
2014年7月20日 再放送
2014年7月27日 アンコール
【VTR出演】
河鍋楠美
(河鍋暁斎記念美術館館長)
安村敏信(美術史家)
荒井経(東京藝術大学准教授)
――維新の激動が続いていた、明治 10年。イギリスから、一人のお雇い外国人が日本にやって来ました。
24歳の若き建築家
ジョサイア・コンドル
(1852―1920年)
鹿鳴館や丸の内三菱一号館、神田のニコライ堂など、西洋建築をつぎつぎ手がけ、文明開化に貢献しました。
そのコンドルが弟子入りをした
絵師がいます。
河鍋 暁斎
(かわなべ・きょうさい
1831―89年)
明治になり、多くの絵師が路頭に迷うなか、河鍋暁斎は、才気あふれる絵で人気を博しました。
文明開化の波は不動明王の世界にまで押し寄せ、神妙な顔つきで、流行りの雑誌を読んでいます。
こうした戯画で世相を皮肉ったかと思えば、霊気とともに立ち現われる、「うらめしや~」 とばかりにギョロリ目をむく幽霊。
こちらは、見目うるわしい遊女。炎のような赤いサンゴの衣装を着た、その名も 「地獄太夫」。こんな妖艶な絵で、大向こうを唸らせました。
師匠となった河鍋暁斎は弟子のコンドルの家に出向き、絵を教えました。正座ができず腹ばいで描くコンドル。
コンドルの絵をみる河鍋暁斎。師弟関係は河鍋暁斎の死まで続きました。
生涯を絵にささげ 「画鬼」 とよばれた、河鍋暁斎。その人生と驚異の技を、弟子のコンドルの目を通して見つめます。
★河鍋暁斎といえば、あの有名な、カラスの絵が思いつきます。『日曜美術館』 の再放送で良いいおさらいになりました。
この時代にカメラを持っていた人は限ります。風景を記憶するには、その場でスケッチするしかありません。
天才・河鍋暁斎は記憶だけを頼りに絵を描いたというから驚きです。8歳で生首をスケッチしたのも伝説(汗)
いまなら炎上確実ですが、当時はまぁ、許されたのかもしれません。しかし、どうして生首が川に流れていたのでしょうか?
謎です^^;
破天荒な人生だったようで、様々なトラブルをかい潜ったようです。
アズマ ヨウイチ は荒波をたてるのを好まないので、なるべくトラブルは起こさないよう大人しく生活してます(笑)
力強い絵。狩野派の最後のスピリットと言ってもいいかもしれません。いまの日本画は、優美でおとなしい絵が多いので
もっとバイオレンスな絵を
描いてほしいものです(ーー;)汗